フィリピンと丹波の農業研修プログラム(後半)

後半は、織物や染めものなど、主に女性達が、担っている仕事について。アブラ州は、雨季が半年、乾季が半年続く気候がはっきり分かれるところ。雨季は主にコメ乾季は、トウモロコシの2毛作か、トウモロコシ、タバコの2期作もしくは、灌漑のない地域(州の8割)は、乾季後半は何も植えられない状況です。1960年代迄は、乾季にはワタを栽培する地域も少なくなく、州内各地で機織りが盛んでした。1970年代に入ると、安い外国製繊維製品に押され徐々に、村々で女性達が行なって来た機織りは衰退していきました。それでも、細々と機織りを続けていた村が、ここ数年で熱心に織物を再開しており、その機織りの村を訪ねました。そこでは50名の女性が機織りに勤しんでいました(今では、糸は中国製ですが)。でも、中断している期間に廃れた技術もありました。昔は複雑で立体な模様を織っていた技術が失われたりしたのは、残念でしたが女性達の熱意は、強いものでした。昔から、寝具などに使われて来た織物は、反物としては、安くしか売れず、衣類などの商品にするには、ミシンを使って衣類にする技術がなく、今回ミシンの講習会を行った、Nさんによって初めてミシンを触った参加者達は、夢中になってミシンに取り組んでいました。でも、ミシンを自分で持てる人は、やはり家族に海外出稼ぎ者がいたりなど、フィリピンの複雑な事情が見られました。一方で他の地域には、高い縫製技術をもつ女性グループもあり、そこも訪問しました。今回の訪問により、織物の女性達と、縫製技術を持つ女性達が連携し、将来、より良い製品が出来たらと思いました。その反面、平野部にも点在する少数民族の村では、藍や木の皮、種から7種類の色を染め分ける草木染めの技術が残っており、100年前から使われている機で織られた布に、幸運の印のヤモリや花、薬草の刺繍を施したりしておりました。そこで、5000円ほどで売られていた衣装は、マニラでは、7000円で売れるのだそうです。でも、マニラの空港の土産物屋でおなじ柄を見かけ値段を確かめたら、なんと、13000円以上で驚きました。少数民族のなかでも、自分達のアイデンティティを強く持つ織物の村では、1つの反物になんと25種類もの横糸を織り込み複雑な模様を描く技術が残っていました。織物や染めものの知らなかった深い世界に触れました。もともとは、点在する少数民族の村々に、織物を供給する為に継承されて来た技術は、今では、バギオなどの金もちが、折る片っ端から買いあさってしまうという事情もありました。織物や染め物からも、フィリピン社会の一旦が垣間見れました。後半でも、山間地の少数民族の村を訪れることになりましたが、先週に比べ、途中の集落がコロナウィルスの影響から、外国人の訪問を喜ばない状況になり、山の村に行けなくなるところでした。でも、幸い通訳として同行してくれた牧師のK先生が、山の村の小さな教会で説教をしてくれることになり、途中の集落を通してもらえました。信仰の力は、ウィルスより強しのフィリピンの宗教観にも触れられました。前半は畑や棚田、蜂の巣を訪ね歩いた村ですが、後半は教会での礼拝だけでなく、伝統的な婚礼衣装や男の人達のドラが奏でる音楽に合わせた、女性達の踊りを見せてくれただけでなく、私達も踊りに参加し、短い訪問時間でしたが楽しい時を持ちました。また、村から帰ってきてから、大急ぎで私達はカレーライスやちらし寿司、きゅうりの金山寺味噌和えや日本の漬物などを作りました。38名の織物や染物、縫い物の女性たちが集まってくれて、好評のうちに終えました。前半後半合わせて、計100名のフィリピンの人達が集まってくれた事を思うと、今回のプログラムをして良かったと思いました。大きな事故なく終えられた事に感謝する次第です。また、今回の写真はプログラムを組みサポートしてくれたA先生が撮りました。A先生と、助手のRさん、通訳をしてくれたK先生には、その気遣いには深く感謝する次第です。また、日本から参加してくれた参加者にも感謝します。